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【介護】私は愛情を持って接することができるか

介護
*記事内に広告が含まれています*

Image by Sofia Iivarinen from Pixabay

むっちです。

母は要介護1の認知症です。

父が亡くなって、その後認知症を発症してからも長年一人暮らしをしていましたが、今月末から私と住みます。

むっち
むっち

私が離婚して実家に戻るからです

要介護1とはいえ、身の回りのことは自分でできますし、なんなら私より足腰が丈夫です。
ただ短期記憶がないので、最近ガスの消し忘れが増えて、先日も買ったばかりのヤカンや鍋がダメになりました。

「またやっちゃたー。すぐ戻ると思ってテレビ見てたら忘れちゃった。
勿体無くて泣いてるの」

なんて言ってます。

火のそばから離れると忘れてしまうのは、私でもよくあることですけどね。

仕事帰りに実家に寄って、姉と母と3人でご飯を食べるので、平日はほぼ毎日顔を合わせていますが、一緒に暮らすのは28年ぶりです。

同じことを言うとか、言ったことを忘れるとか、もう慣れているはずだけど、私が疲れているとイライラしちゃうのは容易に想像できます。

でも、母にとっては初めて言ったり聞いたりしたことなんだから、その辺を理解して接したいなと思ってます。

今日、文筆家の芳麗さんのVoicyを聴いていて、心に残った言葉があるのでシェアしたいと思います。

是非聴いてみてください。
4つ目のチャプターでお話しされている内容です。
(Voicyはスマホアプリで聴くのがお勧めですが、パソコンでも聴けます)

芳麗さんと占星術のkeikoさんとの対談の回で、keikoさんがお話しされていたことです。

介護も楽しんでやればいい。
楽しんでやれない、愛情を持って接することができなかったら、第三者に任せればいい

keikoさん自身、今ご実家でお母様の介護に携わっているのです。

自分の親だから、子供の自分が見るのが当たり前、自分が見なきゃ可哀想、自分が見るべき

なんて固定概念に縛られて苦しんでる人はとても多いと思う。
そもそも第三者に任せたくてもお金がない、という現実があることもわかります。
お金はなんとかなっても、本人が拒絶しているということもありますよね。

介護には本当に一人一人違った、様々な悩みがあるんですよね。
だから一概に、この言葉が全ての人の救いになるわけではないことはわかっています。

母には愛情かけて育ててもらいました。
専業主婦だった母は、家に帰ると必ずそこに居てくれる存在で、安心感がありました。
それは家を出る前のことだけではなく、結婚後も母はいつも家にいて、ニコニコして話を聞いてくれて頼りになる。そんな存在です。

私も母にとってそんな安心感のある存在になりたいのです。

だから、もし今後介護がもっと大変になって、疲弊して、母に対して愛情を持って接することができなくなってしまったら、第三者にケアを任せようと思いました。

子供の私が世話をすることではなく、愛情や敬意を持って接ることが大切だろうと思うからです。

幸いケアマネージャーさんも決定しているし、頼りたくなったら電話くださいと言われていますしね。

自分の負担を軽くすることで、母への優しさを失わないで済むなら、母を傷つけてしまう前に、その選択肢があると言うことを覚えておこうと思います。

むっち
むっち

でもね、イライラって突発的なもんだからな・・・

気をつけます!

どなたかのお役に立てば幸いです

⇩先月母が買って愛でているお花達⇩

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