Image by Steve Buissinne from Pixabay
むっちです。
さっき、片付けをしようとしていたら、無くなったと思っていた母の服や寝具が、ある場所から大量に出てきました。
もしも高齢の親御さん(認知症の有無に関わらず)が物を頻繁に無くすようなら、同じことが起こってないかと思い、お役に立てばいいなと思って書いています。
買っても消える洋服
数年前から、母が頻繁に
「カーディガンが何もない」
「靴下がない」
「セーター何も持ってない」
「スボンも一着しかない」
「捨てたもん」
と言うようになりました。
探しても出てこないので、本当に捨てたのかなと仕方なくまた買う、でもまた同じことを言う。
この繰り返しで、おかしいなと思っていました。
ワンシーズンに2.3着は私も買ってるし、姉もネットで買っているのにです。
いつもあった場所から消える寝具
実家にはお盆、正月と私たち姉妹とその子供達が一斉に集まって泊まる、というのが18年くらいは当たり前でした。
なのでシーツやタオルケットなどは豊富にあって、足りなくなることはそれまでなかったです。
ところが3・4年前からでしょうか、いつも座敷の押し入れにたっぷり入っていたシーツ類が数枚しか見当たらない。
今年の正月に姉が泊まる時も、冬用のシーツが見当たらなくて困ってしまいました。
「古くなってるから、捨てたんだよ」
と母は言いますが、年に2度くらいしか使わないシーツを、穴でも開かない限り母が捨てるわけ無いのです。
聞けば母もずっと同じ夏用のシーツで寝ていたみたい。
10枚くらいはあったタオルケットやシーツ、かさばる物なのに一体どこにいったんだろう?
階段裏側のデッドスペース
階段の裏側には収納があります。
嫁ぎ先の階段裏側もそうなっていたので、古い家は大抵こんな作りなのでしょうか?
微妙な広さの収納なので、使い勝手は良くありません。
棚でも作れば色々置けそうですが。
10年前くらいまでは確かここにトイレットペーパーやティッシュペーパーをストックしていたように思います。
トイレに近いからです。
そのうちそこに使わない毛布が入っていたりして
なぜここに毛布・・・
もうここは開けることないな
と思うようになりました。
母もここには用がないんだろうと思ってました。
だからまるっきり盲点だったんです。
洗濯のハードル
今週、破砕ゴミの日があるな、と思い、
そういえばここに処分する毛布がまだあるかも
と、何気なしに階段裏の扉を開けてみると、そこには
・シーツ 7
・タオルケット 5
・ジャンパー 5
・セーター 5
・カーディガン 6
・ズボン 7
・パジャマ 2
・靴下 沢山
・紙袋 山ほど
出てくる出てくる。
全部洗濯前の物と思われる状態です。
無いと思ってたものが全部ここにあるよ!!
母も驚いていましたが、
「人が来るとき、洗濯物見られたくなくてとりあえずここに隠したのかなあ」
なんて言ってます。
でもハッとと気づいたんです。
そういえば、
「洗濯機壊れた、排水しない!」
と言っていたことがあって、なぜか水に浸かったままの洗濯物が洗濯機の中にいつもありました。
でも私がやると普通に動くんです。
あの頃から認知症の影響で、洗濯機の使い方がわからなくなっていたようです。
紙に、
電源入れて、スタートボタン押すだけ
と書いて洗濯機の隣の壁に貼ったら、その後洗濯していたようだったから安心していたんですが。
セーターはコースを選ぶというひと手間が増えるし、やり方がわからなくておそらく手洗いしていたんだと思います。
それが面倒になり、どんどん溜め込んでいったんですね。
母にとっては洗濯機を使うことのハードルが高くなっている状態だったと思います。
洗濯機の前に溜め込むと、仕事帰りに来た私たちに
洗濯してないでしょ!溜まってるよ
と言われるのが嫌だったんでしょうね。
だから見られないところに押し込めておいて、自分でも忘れてしまったんだと思います。
親身に聞くことが必要だった
その当時(2・3年前)、本人は本当に困っていたんだと思うんですが、私や姉が話をきちんと聞いていなかったのかなと思うと切なくなります。
認知症の母は、私と姉には想像もできないことで悩んでいたりするのです。
今まで普通にできていたことが急にできなくなるというのは、どんなに不安なことなんでしょう。
〇〇が動かなくなった
〇〇が壊れた
というような訴えの時は、大抵使い方がわからなくなっている時です。
掃除機も、ダイソンに買えた途端に掃除をしなくなりました。
母にとって掃除機は、コードを差してガラガラひっぱりながら掃除するのが普通なので、充電してコードレスで掃除するのは、理解できなかったかもしれません。
使い方を教えても覚えられないのです。
それを、全て
認知症だから、やる気がないんだな
と済ませてしまっていたけれど、やりたいのにできなくて、本人は困っていたかもしれません。
そしてどんどん、
「何もできなくなってしまった」
と自信を失って、やる気がなくなってしまう。
という悪循環だったんだなと思いました。
もっと時間をかけて困っていることを親身に聞いてあげられる、心の余裕が必要だったなと、今になってやっと思います。
今日、姉にも今日の出来事を教えたら驚いていました。
二人で綺麗になった階段裏のデッドスペースを見ながら、しみじみしたのでした。
どなたかのお役に立てば幸いです。
コメント