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かつて親友と呼びあった彼女

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むっちです。

今まで転職を繰り返した私。
その職場ごとに親しい友人が出来た。

中でも前職の時に知り合った彼女とは、当時の私の考え方、生き方が酷似していて急速に仲良くなった。

お互い夫婦関係や嫁姑問題、子育てなど抱えている問題も似ていたから、お互いの家に行き来したり、頻繁に食事に行ったりする中で、おおっぴらには話せないようなお互いの秘密や深い心の内まで話しては親交を深めた。

彼女は、

「こんなこと話せるのは親友のむっちだけ」

と言ってくれて、私はそれが嬉しかった。

彼女が職場を辞め、働く場所が別々になってもしばらくは交流があった。

長女が中学2年生になる頃、私が抱えていた問題が一つ解決し、それは心の中で結構大きな変化をもたらした。
それを機に私の考え方や生活パターンがかなり変わったのに対し、彼女の生き方は更に悪い方にエスカレートしていった。

それでも時々連絡は取り合っていたんだけど。

お互いの子供が高校生になるころ、彼女は元の職場の女性と、息子が同じ高校だということで親しくしはじめたらしい。
元々その女性のことは以前から一目置いていて、その彼女と仲良くなれたことが嬉しいようだった。

ある日その彼女に秘密を話していると言ってきた。

むっち
むっち

どこまで話したの?

と聞く私に、

「全部!」

と嬉しそうに言う彼女。

私はそこで自分の心がざわついたのを自覚した。

もう彼女の秘密を知っているのは私だけじゃないんだ。
もう彼女にとって特別な存在ではなくなったんだ。

寂しい気持ちは確かにあったけど、私にとっても彼女は特別な存在ではなくなっているとわかっていた。

彼女の激しい生き方に少し批判的な気持ちにもなっていたから、私の役目は終わったのね、という気持ちにもなった。

その後も年に何度かはLINEで近況を伝え合ったりしてきたんだけど、ここ数年ではそれも1度か2度に減った。

これが疎遠になる、ということだろう。

疎遠になっても時々声をかけて、また会えるのを楽しみにしているよ、と締めくくるんだけど、正直それになんの意味があるんだろうと思えてきた。

いまだに年賀状のやりとりだけをする数名のかつての友人。
前は心が通い合って大切だと思っていたけど、年に一度しかやりとりしなくなった友人。

疎遠になっているのに時々たぐり寄せていた。
でももうそれもやめようと思った。
LINEをブロックするとか、連絡が来ても返さないとか、そんなことする気はないけれど、私から連絡を取ることはやめようと思う。

私には今現在大切にしている友人がいる。
それで十分なんだ。

心が離れてしまったかつての親友は、確かにあの頃の私に必要な人だった。
でも今お互いを支えているのは、それぞれ別の人だよね。

疎遠になるのは自然の流れで、それを無理に止めなくていい、そう思った。
これも終活の一環で、必要なことなのかも。

どなたかのお役に立てば幸いです。

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