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不安や心配事は結局なくならないからこそ、小さな楽しみは必要

考え方
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むっちです。

長男のお嫁さんのご両親との顔合わせ食事会は、7月の最後の週末になった。
堅苦しくならず、かといってカジュアルすぎないような日本料理店で、ランチ会席をすることにした。

そこまで気が重いわけではない。
これってそれなりに場数を踏んだからかな。
むしろやっとご挨拶ができることでホッとしているところもある。

とはいえ、初対面の方との食事は楽しみなイベント!とまではいかない。
そしてこれが終われば、次は披露宴。
これだって主催者ではないけれど、親の立場での披露宴への出席というのは人生初だから未知の世界だ。
今まで出席した披露宴で、新郎新婦のご両親の振る舞い方というのをなんとなく見てきたから、大体あんな感じかなというイメージは出来てるけれど。

こんな風に、子供が大きくなって自立すると、私自身のライフイベントは少なくなっても、子供やその家族の大きなライフイベントはこれから目白押し、ということがあるんだと実感している。

私は比較的楽観的だと思っているけど、それでも何も気にしていないわけじゃない。

子供のことに関して言えば、妊娠中は、無事に産まれますようにとその日を追いかけ、産まれたらちゃんとミルクを飲んで眠ってくれますように、耳は聞こえているか目は見えているか、首が座るのはいつだ、寝返りはできるか。

なんてことから、保育園に入れてからはお友達ができるかな。
学校に入ればお友達に怪我をさせたり、させられたり、いじめられたり物を壊したり。

中学生になっても忘れ物がなくならないことを心配したり。

そして高校受験の心配。
受かったら次の進路の心配。
専門学校に受かってホッとしたのも束の間、ついていけるのかの心配や、一人暮らしへの心配。

そして肝心の就職ができるかへの心配。

3人ともどの心配事をクリアしても、また次の心配事は不思議なほど湧いて出てくる。

でもここまで大きくなればもう、彼らの人生のことは彼らの問題であって私が責任を持つことでは無くなっていると、わかっている。
だからと言って気に掛からなくなるのかと言ったらそんな簡単なもんでもない。

もちろん自分のことでも容赦なく日常の小さな気掛かりや心配事や、何かしらの不安というのは一つ片付いてもまたすぐ次がやってくる。

それが生きているってことなのか?
一つ乗り越えると次がやってくる。
待ち伏せているみたいに。

そんな中でもいかに快適に生活を整えたり心を整えていくかを大切にしたい。
老後の心配なんてものは、そもそも何年後のことなのか。
この歳になるとそんな遠い未来でなくなってきているのはわかる。

でも今できることをやる以外、対処法はなくて。

心配事を追いかけて生きるようなことはしたくない。
例えば1ヶ月先に気掛かりなことが待っているとしても、その日のための準備は早々にしてしまって、あとは小さな楽しみをその前に入れ込んで、その楽しみを追いかけながら過ごしていきたい。

心配事に対してはちゃんと考えて、その時できるベストを尽くすけど、その後はなるようにしかならない。
その日のことはその日になるまで心や頭の脇に置いといていいんじゃないかと思ってる。
心の中心には楽しいことを置いていた方が健康的だしね。

どなたかのお役に立てば幸いです。

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