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「お金を使う」ということ

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むっちです。

最近お金を使うことについて、考えることがあった。

いうまでもなくお金に関する価値観は人それぞれだ。
同じ環境で一緒に暮らした親、姉、子供であっても違うんだから、友人なら尚の事だ。

表面上同じような価値観に見えても、それは勘違いだというのは少し話せばわかる。

喫煙者の友人は、毎日1箱タバコ(450円)を吸う(買う)が、自販機で買う120円のコーヒーは高い!という。

10円でも安い野菜を買うためにお店を選んでいる友人は、安売りのシールが貼られているヨーグルトを、食べたくもないのに買う。

こういうことを目の当たりにすると、人の価値観は本当に不思議だなと思うし、ついツッコミを入れたくなる。

その友人から見たら、灯油代を節約するために設定温度を下げているのに、短期間で旅行の予定を2つ入れている私は謎の生物に見えるだろうか。

先月友人たちと小旅行した時のこと。
一人の友人は、なるべくお金を使わないようにして遊びたい。
特に食事にはお金をかけたくないように見えた。

私ともう一人は、せっかく出かけるのなら、多少お金かかっても美味しいものが食べたい。
泊まるには高額な宿泊施設だけど、ランチだけで利用することができるから、その雰囲気も堪能したいし、ということでそこで食事をした。

帰りはもう一人が高速道路を使わずに帰ろうかと言ったが、それでは余計に1時間使ってしまって帰宅時間が遅くなるし、翌日は仕事だしということで高速を利用した。

数日して友人とLINEでやり取りしている時に、こんなことを言われた。

「お金をかけずに楽しく遊べばいいんじゃないか、例えば食事代とか」

なんだかモヤった。
旅の目的によっては、私も食事にお金をかけないときもある。
要は、お金をかけずに楽しむことは私にもできるってこと。

そもそも、何を楽しいと思うかは人それぞれだ。

旅の予算を決めておかなかったのは失敗だったなとこの時思った。
特に食事に関して最初に決めておかないと、終わってからこんな風に不満を持つ人が出てくる。

いつも一緒に旅行をする他の友人とは、最初に一人当たりの予算を決めて一つの財布にお互いが入れて、そこから全て支払う。
途中で足りなくなりそうならお互いに少しずつお財布に足す。
帰ってきて残金があれば平等に分ける。
これで揉めたことは一度もない。

だけどこの方法がこの友人たちとも有効かは微妙なところだ。

いつでもお金をなるべく使わないことが一番いい選択だとは限らない。
逆に、お金を使いさえすれば必ず満足するとも限らない。

高速料金をケチって、時間をロスして行きたいところに行けなかったり、体力を消耗したりする場合もある。
逆に高速に乗らずに下道をいったから、今まで寄れなかった楽しい道の駅に行けて掘り出し物を買えたり、小さな神社を発見してお参りして楽しかった、なんてこともある。

お店には寄らずに、車で移動しながらおにぎりを食べるという方法が楽しいときや、途中の道の駅やサービスエリアに寄って500円以内で済ませて休憩しても楽しい場合もある。

少し値ははってもご当地の食事を楽しむのも、旅の醍醐味だ。
食べ歩きが旅の目的の時もあるし。
普段絶対食べられないのであれば、そこで食べてみるのはお金を使う価値がある。

健康なうちに、色んな経験をしたいし、そういうことにお金を使いたいというのが私の働く時のモチベーションになっている。
生活には当たり前にお金がかかるけれど、それだけでお金を無くすのは寂しいし、老後の生活のためだけにお金を貯めておくのは私はやりたくない。
今楽しんでなんぼだし、健康に動けるうちに楽しい経験を沢山しておきたい。
使えなくなってからお金が残っていても後悔するだけ。

きっとこう考えるのは老いが見えてきたからだ。

お金は奥が深い、これからも考えていきたいと思えた出来事でした。

どなたかのお役に立てば幸いです

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